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李香蘭――私の半生

蓼科で、山口淑子『李香蘭――私の半生』を読みました。
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山口氏は1920年、中国生まれ。
「1931年、日本が仕掛けた満州事変が起こった。翌32年に満州国が日本人の手でつくられた。33年、その満州国の国策である『満州新歌曲』をうたう歌手、李香蘭がデビューしたが、その正体は山口淑子である日本人の私だった。何も知らぬ少女だったとはいえ、私も満州国同様に、日本人の手でつくられた中国人だった」

李香蘭はその後、満州国の国策映画会社から、俳優としてもデビュー。
親日的な中国人を演じ、それが当時、日本人が求めていた理想の中国人像ですから、日本国内では超・人気スターになります。

やがて終戦。
すると中国では、ただちに漢奸(祖国を裏切り、日帝に手を貸した者)狩りがはじまり、李香蘭も、誰もが中国人だと信じていましたから、捕えられ、収容されます。
漢奸は次々に死刑に処せられ、山口氏も…。

氏の人生も劇的ですが、氏が出会い、交流があった人たちがまた昭和史を文字どおり彩るような面々で、その人生も波乱に満ちています。
甘粕正彦、川島芳子、松岡洋右、等々。

例えば甘粕正彦は、元・憲兵大尉。
関東大震災(1923年)のどさくさに無政府主義者、大杉栄、そのパートナー伊藤野枝、さらに当時6歳の大杉の甥まで虐殺した。
わずか3年弱で釈放され、満州に渡り、日本軍に協力し、さまざまな謀略活動に携わり、その論功行賞で国策映画会社、満映の理事長のポストを与えられた。

しかし山口氏が接した甘粕は、「『大杉栄虐殺事件の黒幕』に『大陸の謀略者』が重なり恐れられたテロリスト」「右翼軍国主義者」のイメージとは異なっていました。
いつも照れくさそうに笑い、日本人のそれと大きな格差のあった中国人俳優、スタッフの給料を引き上げ、当時の日本らしく宴会の席でいつも女優に強要されていた接待の習慣をやめさせ、元・プロキノ(プロレタリア映画同盟)の活動家をはじめ左翼、自由主義者を積極的に登用し…。

しかし、と山口氏は付け加えます。
「酒を浴びるほど飲んでいた。一日の仕事が終わると必ずウイスキーをあおり、その日のこと、そしてさまざまな過去を忘れようとしているかのようだった」

その甘粕は、日本が敗れ、ソ連が満州に侵攻してきた直後、青酸カリを飲んで自死します。

有名無名の、日本人、中国人、ロシア人、ユダヤ人、等々の、小説より奇なり、の人生が溢れ出る本です。

by sam0802 | 2019-05-29 11:57 | 読書・勉強  

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