人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『昭和のチャンプ――たこ八郎物語』

笹倉明『昭和のチャンプ――たこ八郎物語』を読みました。
『昭和のチャンプ――たこ八郎物語』_e0136049_1421469.jpg

たこ八郎こと斉藤清作は1940年、宮城県生まれ。
高校卒業後、東京に出て就職したが、プロボクサーの道へ。
しかし実は子どものときの泥の投げ合いっこで清作は左目の視力をほとんど失っていました。
そしてそれを知られないよう、相手のパンチをかわすのではなく打たれつづけ、相手が打ち疲れたところで反撃するというスタイルを貫いたため、全日本フライ級チャンピオンにまで昇ったが、やがて脳に障害が生じ、26歳で引退。
コメディアンに転じたが、脳の障害から、セリフを覚えられず、ろれつが回らず、寝小便を繰り返すなどします。
1985年、神奈川県の海水浴場で酒を飲んで海に入り心臓まひで急逝。

読み終わっていちばん印象に残るのは、高校を出て東京で就職したが、東京にも仕事にもなじめずにいた19歳の清作の、この場面です――

1959年も終わりに近づいたある夜。
あまりに木枯らしが冷たくて、自転車を降りて歩いていた清作は、よく通る道なのにいままで気づかないでいた一棟の細長い建物に目をとめた。
薄暗い町の中で、その一棟だけがこうこうと明かりをともしている。
清作は何とはなしに足をとめた。
玄関先の大きな木の看板に、「笹崎ボクシングジム」とあった。
その横には貼り紙で「練習生募集!」とあり、風にめくれて震えていた。
ごく細く開かれた窓から、清作は中を覗いた。
シュッ、シュッというパンチをくり出す息づかい、パンチングボールの振動音、揺れるサンドバッグ…そこには何十人という自分と同じ年恰好の若者がひしめいていた。

この日、この道を通らなければ、あるいは自転車を降りないで走りぬけていたら、清作の人生はどうなっていたでしょう。

いや、結局、いつか、同じことが起こっていたでしょうかね。

人生における偶然と必然、てなことに思いを致します。

by sam0802 | 2019-09-16 20:26 | 読書・勉強  

<< お口に合う… 宿に求めるもの、1位は? >>